妊娠中を振り返る – 横浜での無痛分娩 選んだ病院と相性が悪かった話

by Michelle
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安定期に入った頃の「ご報告」など、妊娠中SNSでは触れないようにしていた。
以前boyが生まれときblogにも書いたが、「妊娠=幸せな気分」ではなかったから。
特に妊娠初期から中期にかけて、不安、悔しさ、腹立たしさとネガティブ感情のフルコースを味わった。それらの理由は出産するはずの産院とのやりとりが原因で…

 

1.神奈川県での無痛分娩

出産するならぜったいに無痛分娩希望

出産するなら絶対に無痛分娩がいい。妊娠する前から、これだけは譲れないと夫に話していた私。
もともと痛みにとんでもなく弱い私は、注射を打つと意識を失い、ドアに指を挟んだだけで痛みに動揺して貧血を起こすタイプ。陣痛の痛みに耐え抜いて出産できる自信はこれっぽっちもなかった。

時事ドットコムニュースによれば、アメリカやフランスでは6割以上の妊婦が無痛分娩を利用する。一方で、日本ではたったの1割未満。そもそも、すべての病院で無痛分娩を選択できるわけではないのだ。

 

横浜市で無痛分娩対応の産院探し

神奈川県の無痛分娩対応の産院は、東京都内と比較すると少ない印象。横浜市に絞って調べると、片手に収まる数しか出てこなかった。比較対象も少なかったので、産院を選ぶまでにそう時間はかからなかった。

選んだ産院の決め手は

・麻酔科医常駐のため24時間無痛分娩に対応してくれる
・ホテルのような病院
・一流ホテル出身のシェフによる食事
・検診は車での送迎をしてくれる など

今この記事を書きながら「横浜 出産 無痛 病院」と検索すると、当時と全く違う検索結果が出てきて驚く。海外からインターネット検索で病院を探し、ウェブ上の口コミ情報だけで決めた産院は、今や検索結果上位にはヒットしなかった。

先に言っておくが、最終的に私はこの産院での出産をやめた。その決断に至ったのは病院で起きたいろいろな出来事がきっかけだった。

 

2.選んだ病院が最悪だった – ここでしか書けない本当に起こった出来事

担当医は”中国嫌い”

上海で妊娠がわかってから約1ヶ月半後、一時帰国をして初めて日本での検診を受けられることになった。

分娩予約枠確保のために先に支払うように言われた予約金は、日本にいる母にお願いして事前に納付済み。病院に国際電話をかけて、初回に必要な書類も確認し、言われた通りに中国の産婦人科からの紹介状(日本語記載のもの)を手にしてどきどきしながら病院へ向かった。

ドラマ、『コウノドリ』を見て予習をしたつもりになっていた私は、いざ産院に行って衝撃を受けた。
それは副院長である担当医師(中年男性)のありえない言動によるものだった。

「僕、中国人嫌いなんですよー。適当だから書いてあることも信用できないし。これいらないね。検査もやり直そう。」
そう言って彼は私が手渡した紹介状を机の上に置いた。

必要ないと言われた紹介状は日本円で約1万円。お金の問題ではないが、中国人医師に無理を言って急ぎで用意してもらったもの。それも日本に国際電話までわざわざかけて、必要なものを確認したのに…

正直、医師の言動にとてもがっかりした。

 

“妊娠後に移動する動物は人間だけ”

医師の言動にひっかかるところはあったが、検診を終え、次回の通院の話になったときのこと。
あくまでこの日は一時帰国で、私は日本での仕事を終えたらすぐに上海に戻る予定だった。
そのことを告げた途端、医師から出た言葉は忘れられない。

「君はばか?妊娠後に移動する動物は人間だけだよ。」

私だって好きで上海に戻るわけではない。家が上海にあるから、飛行機に乗って戻らなければならないのだ。

「戻るのはやめなさい。」
そんなことを言われては、海外在住者の日本への里帰り出産は成り立たない。

ちなみに、この日会話の中で3回ばかと言われたことを、私は未だに根に持っている(笑)

 

 

妊娠に関するおすすめの読み物は”東大の論文”!?

中国で日本の書物を手に入れるのは難しい。さらには旧正月前後でインターネット規制が厳しく、日本語で妊娠にまつわる情報を検索するにはあまりよくない環境。そんな背景があったため、医師に質問をした。

「妊娠出産のことが何も分からないので、勉強するためにおすすめの本などありますか?」

これに対して、医師から出たことばは

「そんなの自分で調べなさい。インターネットで調べたらいくらでもでてくるでしょう。」

私はむっとした。そして、そのまま引き下がらなかった。

「中国に住んでいるので、インターネット規制があって日本語での情報検索ができないんです。できたとしてもインターネット上にはあまりに情報が多いので、それらを取捨選択するためのアドバイスが欲しいんです。読むべき本などありませんか?」(口調もまさにこのまま)

この問いに対して医師からでききたことばに、その場にいた助産師さんもびっくりしていた。

「東京大学の論文を読みなさい。日本には日本のルールがある。それを勉強するためにも東大医学部の論文を読んだら?」

のちに友人にこの話をしたら、患者に対して東大の論文を読めという医師なんて出会ったことがない!おかしい!と口を揃えて慰めてくれた。ちなみに、この医師は東大卒ではない。

長い医学論文なんて全く読む気にはならなかったし、結局妊娠中に読んだのは先輩ママさんたちからからプレゼントされた本ばかりだった。中でも友人Sからもらったフクチマミさんの漫画はサクサク読めておすすめ。


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クアトロテストの検査結果

最初に選んだ産院(仮にA病院とする)では出産しない。そう決断するきっかけとなったのはクアトロテストだった。

クアトロテストとは出生前診断のひとつ。ダウン症候群(21トリソミー)や18トリソミーなど、先天性疾患が起きる確率を予測するものだ。妊娠中、31歳の誕生日を迎えた私は、年齢を重ねるごとに染色体異常リスクがあがることを踏まえ、胎児の出生前診断を受けることにした。(長くなるので割愛するが、いろいろと悩んだ末に選んだのがこのクアトロテスト。中国ではより精度の高い出生前診断、NIPTが受けれることを知ったのは産後になってからだった。)

正直受けると決めたものの、検査結果を聞くまでは心配と不安で落ち着かなかった。検査結果が出るのは約2週間後。結果を聞くための来院予約もしっかり済ませ、あとはその日を待つだけ…のはずだった。

ある日ゆっくり半身浴をしていた時、携帯が鳴った。発信元は産院だった。何の要件だろうと思いながら、電話を受けると<クアトロテストのことでご連絡した。来院してほしい。いつならこれますか?>と言う内容だった。

本来検査結果については連絡はこないことになっていたし、翌週には検査結果を聞くための予約もしてある。それなのに、なぜ電話がかかってきたのか。不安になって電話口で検査結果に問題があったのかを聞くと、<電話は答えられないので来院してほしい>の一点張り。心臓がバクバクして、母に再度産院に連絡をしてもらった。それでもやはり<電話では答えられないので、今からでも大丈夫なので来院してください>という病院側。すぐに支度をして母の車の助手席に乗って病院に向かった…

 

結局、検査結果はスクリーニング陰性だったが、どうやら病院内での伝達ミスが起きていたらしい。私の次回の予約が確認できなくなっていたこと、いろいろと体制の問題で誤解が生じたことがわかった。
これはあくまできっかけとなった出来事だったが、他にも支払った予約金を未納扱いされたこと、受付の対応がいまいちだったこと、副医院長から医院長に担当を変えてもらった後もやはり相性が悪かったこと…いろいろなことがもやもやした気分につながり、病院に行くのが次第に苦痛になっていた。

 

実は医療事故が起きていた

痛みを取りたいから、無痛分娩を希望する。そんな考えを改めるきっかけになったのは、友人から無痛分娩の医療事故の話を聞いたのがきっかけだった。

無痛分娩にはリスクも伴う。分娩中に何か起きた時には医師に命を委ねることになる。そう思った時に、私は本当にこの病院でいいのか疑問に思った。

そしてある日、不安を直接病院でぶちまけた。
(今思えばなんと迷惑な患者…しかし、妊娠中のメンタルは自分でもひくくらい不安定なものだった)

普段から事務的な伝達ミスが多すぎる。
出産は命がけというけれど、今は安心して命を預けられない。
最近友人から医療事故の話を聞いて不安で… など、ネガティブな思いがどんどん言葉になって溢れてきた。

すると、いきなり「当院の(医療事故の)話ですか?」と相手の表情が曇った。

私は神戸での医療事故の話をしていたのに、なぜA病院の方がこのような反応をするのか気になった。よくよく調べたところ、2年前にA病院の分院で医療事故(死亡事故)が起きていたことがわかった。医師は半年間の資格停止。その後病院名は少し変わっていた。(カーナビ上で違う病院名が表示されていたのが不思議だったが、それは事故以前の病院名だったことがわかった)

病院選びの際、A病院の口コミで特段目立った悪い内容はなかった。
一番知りたかったA病院の本当の情報は、インターネットでもよく調べない限り出てこなかったのだ。

 

 

3.新たな病院探し

妊娠16週でA病院とはお別れした。
A病院にはもう行きたくない。そう思うまでいろいろなことがあった。(ここにすべては書けないけれど…)

<妊娠による身体的な変化に加えて、精神面でも負担になるなら病院を変えよう>
この判断をするにはなかなか勇気が必要だった。

無痛分娩を希望する場合、予約枠はすぐに埋まってしまう。しかも、私が希望する24時間無痛分娩に対応している病院はほぼない。あったとしても、無痛分娩に対応している産院は妊娠16週にもなると空いていないところばかり。

私はその時すでに日本の実家で暮らしており、なかなか理想の病院が見つからないストレスから、母には八つ当たりをしてばかり。離れた中国にいる夫には、なぜ一緒になって病院探しをしてくれないのか(中国のインターネット事情を自分でもわかっているのに)文句をぶつけたりしていた。当時母にも夫にも私のわがままでたくさん迷惑をかけてしまったけれど、二人のおかげもあってなんとか無事新たな産院が見つかった。(当時神奈川県の医療情報を教えてくれた友人Yちゃんにも感謝している)

奇跡的に新横浜の母と子の病院に受け入れてもらい、再度分娩予約を行った。
初診の際にもうA病院に行きたくないことを話すと、紹介状も取りに行かなくてもいいと言ってくれた理事長先生。やっと産める場所が決まったと安堵したのだった…。

 

最後にA病院に分娩キャンセルを伝えるために電話をかけた時の話。

「(A病院で)産むのをやめます。分娩予約をキャンセルしてください。」と伝えると、出産そのものをやめると勘違いされ、この時期の中絶手術の場合は負担が大きいことなど電話口で説明が始まった。もはや聞く耳ももたなかったが、最後の最後まで相性が悪かったA病院だった…

 

 

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